2020/7/24 経済用語 日本のバブル景気 Japan’s (economic)bubble boom

2020/7/24 経済用語 日本のバブル景気 Japan’s (economic)bubble boom

 


1986年(昭和61年)12月から1991年(平成3年)2月までの51か月間に、日本で起こった資産価格の上昇と好景気、およびそれに付随して起こった社会現象のこと。

(ただし、多くの人が好景気を感じ始めたのは1987年10月19日のブラックマンデーを過ぎた1988年頃であり、(1988年吐血からまで自粛モード)、最高潮は1989年12月29日の大納会で(日経平均株価が市場最高の38,957円44銭を叩き出した)、1992年2月まで好景気の雰囲気が維持されていた)

第二次大戦後三番目に長い好況期間となる。

 


背景

1.プラザ合意(1985年)から円高ドル安が急速に進行し(1ドル240円前後だったのが翌年には1ドル150円台になった)、その後のルーブル合意(1987年)が上手く機能せず、円高ドル安の状況が変わらなかった。同年のブラックマンデーで更にドル安に。

当然輸出業に大打撃となり、当時製造業が日本のGDPに占める割合が大きいので、日本経済がかなり落ち込んだ。(東京や大阪の町工場の倒産が相次ぎ、製造業の国外への流出が本格的に開始)

2.この不況から脱するために日本政府は内需主導型の経済政策を展開し、金融緩和を行った。

1989年に所得税(国税地方税の合計)の最高税率が88%から75%に引き下げられ、富裕層の手取り所得が倍増する計算になる。

3.インフレ率の低下と低金利政策の維持への期待によって名目金利は大きく低下し、貨幣錯覚が起きた。

4.1986年初に石油価格が急落し、巨額の交易利得を得、日本経済の潜在能力の過大評価にも繋がった。

5.1985年5月に国土庁が「首都改造計画」を発表。意図は地価高騰の抑制であったが誤解され、「オフィス供給は国策となった。都心の土地を確保せよ」となった。

6.地価が高騰しているのに固定資産税の値上げなどの対策を怠ったなど、結果的に「不動産神話」が醸成された。

7.1980年台後半、エクイティファイナンス(新株発行に伴う増資)の隆盛で大企業の銀行離れを加速させた。

また金利の低下(プラザ合意金利の自由化)などによって、銀行は今まで通りの方法で利鞘を稼ぐのが難しくなった。

そこで銀行とその他の金融機関は行き場のない大量の資金を不動産投資に回し、不動産投資熱が過熱した。(全国的な個人金融取引の煽りもあった)

8.資産価格の高騰で資産所有者に含み益をもたらし、心理的な財布の紐を緩めた。また欧米企業へのM&Aが増え、日本企業の利益が増え、個人の給料と社用資金が増加した。

9.日本市場は1987年10月19日のブラックマンデーの不況をいち早く脱出して、世界から信用を得た。投資が投資を呼んだ。

 


エピソード

1.山手線内側の土地代でアメリカ全土が買える。

2.三菱地所によるロックフェラーセンターの購入。

3.強いインフレにならなかったのは収入の増加と円高による安い輸入商品が日本に大量に流入したからと言われている。

4.土地を確保するために地上げ屋が多出。

5.1985年9月30日に横浜駅東口に世界最大級の百貨店「そごう横浜店」が誕生した。開店資金590億円で、売り場面積が当時の東洋一。初年度の売り上げが世界一で、今でも記録は破られていない。

6.単一の物件に複数の担保をつけることが行われた。通常土地の評価額の70%で融資するが、破綻した北海道拓殖銀行が120%で貸した。

7.利用しにくい土地が後にコインパーキングなど狭い駐車場になり、「バブルの爪痕」と呼ばれた。

8.自力で住宅が購入できないぐらい地価が高騰したせいで、二世代ローンが登場した。

9.高額の相続税を賄うために、養子を入れて払う税金を減らす手段まで出現。

10.住宅すごろく、リゾート地開発ブーム、ゴルフ会員権価格高騰、諦めリッチ

 

 

 

参考文献:

1. https://ja.m.wikipedia.org/wiki/バブル景気

2. https://ja.m.wikipedia.org/wiki/バブル崩壊

3. https://www.jaccs.co.jp/lesson/moneyplan/0085/

4. https://pepera.jp/story_of_bubble/japan/

5. https://business.nikkei.com/atcl/report/16/011900002/012200004/

6. https://diamond.jp/articles/amp/60475?display=b